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「船の歴史(日本編)」 太平洋戦争後

●船の歴史(日本編) 太平洋戦争後

さぁ、いよいよ船の歴史~日本編~も最終章。
ついに太平洋戦争後~近代における発展編です!

ここまで世界と日本との船の歴史を比較してきましたが、
最終章の今回はどのような発展を遂げているのでしょうか。
いつものようにフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
からの抜粋ですが、学んでいきましょう。


☆船の歴史 太平洋戦争後
太平洋戦争によって日本は商船の80%を失った。しかし、
造船業と海運業は他の多くの産業同様に終戦直後から着実な復活を開始した。

終戦時にはGHQによって造船能力を年15万トンに制限され、
100総トン以上の全ての船がGHQの管理下に入れられたが、
1947年からは規制が順次緩められ、1950年の戦争と1956年の
第二次中東戦争(スエズ動乱)をきっかけに日本に長期の造船ブームをもたらした。

1951年のサンフランシスコ講和条約以後は、米アメリカン・プレジデント
・ライン社(APL)の「プレジデント・クリーブランド」(15,973総トン)と
「プレジデント・ウィルソン」(12,597総トン)によって米国シアトルとの
定期客船航路が開設された。

1952年と1953年には大阪商船会社(現商船三井の母体の1つ)が2隻
の南米移民用外航貨客船「さんとす丸」(1952年、8,515総トン)と
「あめりか丸」(1953年、8,354総トン)を使って南米航路を再開した。
その後、2代目「ぶらじる丸」(1954年、10,100総トン)、「あるぜんちな丸」
(1958年、10,863総トン)、「さくら丸」(1962年、12,628総トン)などの5隻
の外航貨客船によって日本⇔香港と日本⇔北米の航路が再開された。

1960年の東京オリンピック以降は、航空機による海外渡航が一般化し
たため旅客輸送需要は激減し始めた。南米航路も移民の減少と共に
需要は減少した。日本に限らず世界的に、これ以降は客船としての船舶
の需要は低下を続け、一部のクルーズ船を除けば外航航路の客船は消滅してゆく。

代わって世界中で海上輸送の需要が増加を続け、戦前戦中の造船技術
を背景にブロック工法のような新たな造船技術の開発によって世界の造船業
における地位を確実なものにしていった。1956年には英国を抜いて世界一
の造船量となり、1975年には世界の造船量の50%を越える量を世界の海に送り出した。

1950年代から始まった順調な景気によって、海運業においても大型石油タンカー
や大型コンテナ船のような船が多数登場し、自動車運搬船、鉱石運搬船、
LNGタンカーも次々と作られ海外航路に投入されていった。
また、内航航路でも大型カーフェリーが多数登場した。

日本でのこの増船の波は、1973年からの第一次オイルショックによって
日本経済が停滞した数年後の1977年をピークに下降線をたどった。
特に需要の減った石油タンカーは契約キャンセルされるなど造船需要が
激減すると同時に、1980年の貨載量56.5万トンを最後に巨大化に終止符が打たれた。

※出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋

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